中国語あれこれ

中国流 説得スタイル ー表現解説集【第1話(C)】

《 中級会話エリアの穴場 》
【第1話(C)】物事の筋道・人生の道理で説得するスタイル

“我们都是人生匆匆过客” /私達はみな、いわば忙しく人生街道を行く旅人なのです

▲例文8 “我们都是人生匆匆过客 wǒmen dōu shì rénshēng cōngcōng guòkè.”
→端的に言うと「人生は旅人」──私たちの人生を、茫漠とした時間の壮大な流れの中のごく短い一コマを通りすがる旅人に譬えた言い方。
捉えどころがなく、不可思議な正体不明の「時間」、その絶対的な支配下に置かれたすべての生命体──不可避の「生・老・病・死」現象──そうした宿命を背負って地球上に現われた私たちは、さながらそれぞれの短い人生街道を宿から宿へと渡り歩くせわしい旅人のようだ、と説く。
これは中国人の人生論によく引用される決まり文句のひとつです。
“我们都是时间的过客。Wǒmen dōu shì shíjiān de guòkè.”
“世界一直存在,人是过客 shìjiè yīzhí cúnzài ,rén shì guòkè.”などとも言う。

応用例: 我们都是人生匆匆过客,每个人都应该用心去生活,好好珍惜这一世的活着。
→私達はみな、人生街道を行くせわしい旅人のようなものだ。
誰でもみなしっかりと生きて行き、一生の命を大切にしなければなりません。

▲例文9 “人生就这么一辈子。rénshēng jiù zhème yī bèizi”
→人生はたったの一回きり

応用例:人生就这么一辈子,很多人到年老的时候,最后悔的是年轻时候没有去做想做的事。
→人生はたったの一回だけ、多くの人は老年になって一番後悔するのは、
若い時にやりたいことをやらなかったことである。

▲例文10 “我们都得好好儿活着。wǒmen dōu dĕi hăohāor huó zhe”
→私たちはみなしっかりと生きて行かなければならない

【関連語法】二つの【助動詞】—“应该yīnggāi”“要yào”の相異は?
▲前掲の例文の中で、【助動詞】“应该”に中国的特色を感じる。
「道理、倫理道徳、条理からみて、人は当然…しなければならない/…するべきだ」との意味を内包し、儒教思想が色濃く投影しています。
一方、【助動詞】“要”は、ある目的を達成するために行動する必要・義務があることを示し、「(目的達成のために)……する必要がある/(客観的、現実的に)……しなければならない」という実務的な意味合いが強い。
“要”は生活行動の効果・成果を重視する実用主義的色彩の強いものだといえます。
実例を挙げてみましょう。
“学生应该好好学习”は「(学生は本分を自覚し、親の期待に応え、教師の恩に報い、学校の掲げる人材養成の理念・目標に応えて、当然)しっかりと学業に励むべきである」と深読みすることができますが、“学生要好好学习”のほうは「進級、卒業、進学、就職するために、しっかりと学習しなければならない」と解釈することができましょう。

(つづく/ 鄭青榮)