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(41)中国語会話 初級プレミアム・レッスン 您贵姓? ---免贵,我姓郑。 |
![]() 你叫什么名字? ---我叫郑元芳。 您贵姓? ---免贵,我姓郑。 请问您尊姓大名。---我不尊名不大,叫郑元芳。 恭喜,恭喜! ---同喜,同喜! ★ 解説 ![]() もともと中国の伝統文化には謙譲の美徳を重んじる要素が含まれている。社交の場において、相手を敬って自分は頭を低くするものと心得る。その卑近な好例が“您贵姓? Nín guì-xìng?”です。この場合、尊敬の意を表された側も、本来は例文のように、“免贵,我姓某… Miǎn-guì, wǒ xìng mǒu···”と応答する。 はて、「免税」ならぬ“免贵 miǎn-guì”とはなんでしょうか?---“免贵”の正体は謙譲語です。相手から送られた尊敬語“贵姓 guì-xìng”をしっかり受け止めたうえで、すかさず謙遜語“免贵”で返礼している。つまり、“贵姓”の“贵”に関しては、自分にとって身に余ることなので省かせて頂く、という謙遜の意思表示なのです。自分の苗字は別段、尊貴でもなく、世間並みですよというわけです。 なお、“免贵,我姓郑”を日本語に訳すと、「『貴姓』とは過分なお言葉で、恐れ入ります。単なる鄭と申します」となりましょう。当事者間のこうした言葉のやり取りを通じて、互いに初対面の礼を尽くし、尊敬と謙遜の意思表示が双方向に行われ、人間関係のバランスが程よく保たれるわけです。しかも、礼に適った言葉遣いからその言葉を発する人の品位が滲み出ており、人間関係に潤いを添えている。例文の“我不尊名不大,…Wǒ bù zūn míng bú dà,… ”は、「『尊姓大名』とは過分のお言葉で、恐れ入ります、単なる…と申します」といったニュアンスになります。 また、他人の慶事を祝福するのに、例文恭喜,恭喜 gōng-xǐ,gōng-xǐ!=「おめでとうございます!」がよく使われますが、これに返答する丁寧語として、“同喜,同喜! tóng-xǐ,tóng-xǐ”があります。「ご同様におめでとうございます!」という意味で、喜びを互いに分かち合う気持をよく表しています。 しかし、こうした尊敬語、丁寧語や謙遜語は、古めかしい一種の虚礼に過ぎなと敬遠したり、いちいち“免贵 miǎn-guì…”と応じるのは面倒で、このスピード時代に合わないとばかりに無視したり、あるいは用語本来の意味に無関心だったりする人も少なくない。 ![]() さて、例文の話に戻りましょう。例文“请问您尊姓大名 Qǐng-wèn nín zūn-xìng dà-míng ”は、不特定多数の人が集まる公共の場における用語として、或いは立派な人物や尊敬すべき年長者に出会ったときなどに好適です。 言葉は人と人が交流するための道具でありますが、それはまた民族や社会の文化そのものでもあります。80年代から始まった急速な高度経済成長から30年、ようやく安定成長への過渡期に入ったばかりの現在の中国は、いわば「宴の後」の整理整頓に取り組みながら、成熟社会を目指して移行し始めているように見えます。今後、国民全体の教育水準の向上につれて、次第にマナーも改善されるでしょう。“衣食足而知礼节 Yī-shí zú ér zhī lǐ-jié ;衣食足りて礼節を知る”の教え通り、品位ある言葉や洗練された言葉は必ずや多くの人々に受容され、普及するものと期待しています。 ★ 味な格言・言い回し ![]() “求同存异”から“求同化异”へ 日本語には「小異を捨てて大同に就く」という格言がある;細かな食い違いはあっても、大筋で一致しているところを取って協力する、と辞書にある。これに対応する中国の格言は“求同存异”=“求大同存小异 Qiú dà-tóng cún xiǎo-yì 异=異”;つまり小異を残して大同を求める;観点の一致した事柄について共同歩調をとり、不一致のものは保留する、というわけです。ただ、小異に対して日本は「捨てる」のに対して、中国は「残す」「棚上げする」という点がかなり異なる。 ところが、最近この格言に関して、中国の一部のメディアから新しい言い方が登場した。“求同存异”の“存”を“化 huà”に置き換えたのです。“化 huà”には「取り除く・無くす・変化させる・熔かす・溶かす」などの意味があるので、これは一歩前進した考え方と言えそうだ。なぜなら、「小異を捨てる」と、あとあと後悔する余地を残し、しまいに前言を翻し、気が変わるかもしれない。かといって「小異を残す」のは、あとあとそれが紛争の火種にならないとも限らない。したがって、「小異」は「捨てる」ものでも「残す」ものでもなく、“化”=“化解 huàjiě「ばらして溶かす」”ものだ、と主張している。 もちろん、基本は「大同に就く」点にある。双方が共通利益を追求する過程で、不断に相互信頼関係を強め、利益実現のためのロードマップをゆるぎなく推進し、協働の果実を分かち合う。こうした大局観を堅持することが、最も重要なポイントであることに異論はないでしょう。しかし、その一方で「小異」を放置せず、適切に処理することも怠ることはできない。なぜならば、「小異」は放置されているうちに厄介な「大異」に転化しないとも限らないからだ。それを防ぐには、双方がたえず知恵を絞り、粘り強く「小異」をほぐし、次第に解消する方向へと導く。こうした地道な努力が双方の共栄を実現し、世界の平和を構築するうえで必要だと“求同化异”は示唆しているようだ。 |
(次回に続く) |