続・情に訴える
★“面子”と“看得起”&“看不起”の関係
メンツ=“面子”を重んじるといわれる中国人がよく使う言葉に“看得起/看不起”があります。まず“面子”ですが、文脈によって微妙に変色する多義語なので、さまざまな訳語が充てられています。良い意味では「プライド・誇り・自尊心/名誉・名声・信用」などと訳せます。これらはどれも個人の進歩・向上を促す原動力や努力目標となりえます。
一方において、文脈によっては、義理人情に絡む「世間体・体面・評判」を指すこともあります。「中国的村社会」に根を張る儒教的な価値観──「忠孝仁愛礼義廉恥」が“面子”に色濃く反映したものと言えましょう。
そんな“面子”も、周囲の目や体裁を気にするあまり、無理に背伸びし過ぎると、「虚栄心」の罠にハマってしまいます。なので「虚栄心」、「見栄」などとも訳せます。こうしてみると、“面子”は中国人にとって両刃の剣です。
中国人社会で“面子”が問題視されるのは、こうした見栄っ張りな振る舞いが依然として多くの弊害を生んでいるからにほかなりません。“爱面子”が高じて、極端な“死要面子(命を賭けてもメンツにこだわる)”となると、もはや正気の沙汰ではありません。
次に、“看得起”の意味は「尊敬する/眼中に置く/(性格・能力などを)認める/重視する/高く評価する」ですが、逆の立場から言うと「(相手から)尊敬される/認められる/重く見られる/高く買われる」となります。
“看不起”は「(相手を)軽く見る/軽蔑する/侮る/ばかにする/見くびる/見下げる」ですが、逆の立場から言うと「(相手から)軽く見られる/ばかにされる/見下される」という意味になります。
“看得起”にしろ、“看不起”にしろ、いずれも他人の自分に対する評価・世間体・評判・体面などを強く意識した用語としてよく使われます。下記の例文5および例文6がその典型例です。
1.我可待你不薄啊!
2.我对你可是仁至义尽。
3.我怕连累你。
4.这也算是我对你的一点补偿。
5.你真的看得起我,那我可以试试。
6.你再推辞,那就是看不起我了。
★語注 :
●待dài;【動詞】処遇する/待遇する ●仁至义尽rén-zhì yì-jìn;【成語】義理人情を尽くす/善意の限りを尽くす/力を尽くして人助けする ●连累lián-lěi;【動詞】巻き添えにする ●看得起kàn de qǐ;【動詞句】尊敬する/眼中に置く/(性格・能力などを)認める/重視する/高く評価する ●推辞tuī-cí;【動詞】辞退する/断る ●看不起kàn bu qǐ;【動詞句】軽視する/軽んじる/さげすむ/見下げる/見くびる/侮る/低く見る/侮辱する/尊重を欠く✴このほかにも、【動詞+得起(資力があって…することができる)】/【動詞+不起(資力がなくて…することができない)との用法があります。
★解説 :
▲例文1“我可待你不薄啊!”は「君には随分よくしてあげたよな!」。「君にはいろいろと面倒をみてあげたつもりだぞ」。厚遇してあげた恩返しを忘れるな、といわんばかりのセリフです。そこまでよくしてあげた私に不義理なことはできないはずだと相手を牽制してもいる。ここの“可”は語気を強める副詞の用法。
▲例文2“我对你可是仁至义尽。”は「あなたに対して、私は義理人情を貫いて尽くしてきたつもりだ」。したがって、あなたは私に対して義理を欠いたり、人情に反したりする行為を行ってよいはずはありません、と牽制するような言い方。
▲例文3“我怕连累你。”は「あなたを巻き添えにしてしまうのではと心配なのです」。たとえば、自分の不祥事に絡んで身内や親友を不幸にしたり、あるまじき損害を与えたりするのは忍びないとの感情を示しています。
▲例文4“这也算是我对你的一点补偿。”は「これはあなたに対する私のせめてもの償いだと思っています」。反省と謝罪の証として、具体的な行動で償いをすることは当事者間の和解にとって欠かせない。この短いフレーズには、謝罪する側の誠意と謙虚な気持ちが表現されています。
▲例文5“你真的看得起我,那我可以试试。”は「もしあなたが本当に私(の能力)を認めてくれるなら、試しにやってみてもいいですよ」。自分の人格や能力を尊重し、自尊心を満たしてくれる人には、恩に感じて協力したい、報いたいとの考えを示しています。
▲例文6“你再推辞,那就是看不起我了。”は「それでも断るなら、あなたにとっては私など眼中にないってことですよね」。「(こんなに頼んでいるのに、)あなたはそれでも辞退するというなら、それは私を見下しているにほかならない」──相手はなぜ辞退するのか、その理由を知ろうともせず、逆に推挙してあげたのに辞退するとはけしからん、自分はメンツを潰されたという言い方。
★【情に訴える】ことわざ・味な言い回し
○“本是同根生,相煎何太急”── 魏の曹操の死後、皇位を継いだ曹丕は、並外れた文才を持つ弟曹植を強く妬み、脅威に感じていた。自分の権力の座を守るためにライバルの弟を亡き者にしようと謀った曹丕は、曹植に無理難題を持ち出した。「おまえは才気煥発だというではないか?ではそのおまえに命じる。七歩行く間に詩を一首作れ、作れなければ、君主を欺いたかどで死罪に処す」と。
窮地に追い込まれたものの、わずか10秒間で曹植は詩を作り終えた。立て板に水を流すように詠んだのが“萁在釜下燃,豆在釜中泣,本是同根生,相煎何太急(豆がらは釜の下で燃えており、豆は釜の中で泣いている。同じ根から生まれた兄弟同士なのに、兄はなぜ私に危害を加えようと、こんなにも焦っているのか)”。釜の中で泣いている豆(曹植)に構わず、盛んに釜の下から炎を上げて豆を煮ている「豆がら」は、ほかでもなく曹丕を当てこすっています。熱湯に煮られて豆から盛んに気泡が噴き上がるさまを「泣いている」と巧みに表現しています。
不義にして非情な肉親虐めを暴露された曹丕は、やむなく曹植を無罪放免にしたという。陰惨な骨肉の争いを告発し、兄弟の情に訴えた曹植は、この作詩によって人生最大のピンチを切り抜けたといえましょう。*“煎jiān;煮る/苦しめる *急jí;焦る”
○“家乡的水真甜!”──故郷の水が一番美味しい!
緑豊かな里山から湧き出る泉水は口当たりがよく、美味しいのも頷ける話です。
但し、里山の生態環境をしっかり護ることが大事ですね。
○“月是家乡圆”──故郷の月が一番まん丸い
○“月是故乡明”──故郷の月が一番明るい
“乡情xiāng-qíng”(=故郷への思い/里心)から発する故郷への賛美は、万人に共通する感情の自然な発露です。故郷を離れて他郷にある人が月を眺める時、懐かしい故郷の山河や、幼時から慣れ親しんだ一木一草にまつわる思い出、いたくてもいまは会えない家族や親類縁者などさまざまな情景が脳裏に甦り、もろもろの思いを月に託すので、月はことのほか明るく感じられ、まん丸く見えるものと解釈できましょう。
|