では前話の前置きに引き続き、本題【情に訴える説得フレーズ】の例文を見てみましょう。
1.我没有功劳也有苦劳,没有苦劳也有疲劳。
2.他是你的顶头上司,应该请他做媒。否则,也不太近情理了吧。
3.我这么做也是为了混口饭吃。
4.你难道一点都不考虑别人的感受吗?
5.我一时鬼迷心窍,请放我一马。
語注 :
●顶头上司 dǐng-tóu shàng-si;【名詞】直属の上司
●不近情理 bù jìn qíng-lǐ;【成語】情理に外れている
●混饭 hùn fàn;【離合動詞】飯にありつく/どうにか暮らしてゆく(口=一口/混一口饭吃)
●鬼迷心窍 guǐ mí xīn-qiào;【成語】亡霊に心を惑わされる/魔が差す
●放他一马 fàng tā yī mǎ;【動詞句】(人に対して)手加減する/寛大に処置する/馬に乗って逃走しようとする者を逃がす
✴一説によれば、「赤壁の戦い」に敗れた曹操が馬に乗って華容道から逃走する際、待ち伏せていた関羽に出くわして
絶体絶命のピンチに陥ったが、関羽は道を開けて馬上の曹操を逃がした。
そのわけは、曹操に往時の恩義を感じる関羽が忠義を貫いたからだ、との故事から生まれた言い方。

解説 :
▲例文1
我没有功劳也有苦劳,没有苦劳也有疲劳。
→私は手柄を立てなかったとしても、苦労だけはしてきたつもりです。
さらに言えば、よしんば苦労はしなかったとしても、疲労を重ねてきたではありませんか。
仕事で好い結果こそ出せなかったけれど、自分の努力は認めてほしいとの主張。
せめて努力したことに対して温情ある処遇を求める婉曲な言い方でもあります。
仮定の譲歩を示すセットフレーズ「即使……也·…」の接続詞“即使(哪怕/就是)”が省略された形。
成果主義、能力主義が支配する現代の企業・役所の中で、成果を出せていない社員・職員の泣き言、ぼやきとしてよく引き合いに出される言い方。
類似例文を挙げると、“我跟了你这么多年,鞍前马后的,没有功劳也有苦劳啊!(長年来、私はあなたに付き従い、忠実に仕えてきました。手柄はなくても苦労だけはしてきたつもりです。
※鞍前马后ān-qián mǎ-hòu;【成語】武将の乗る馬に付き従い、よく世話をする)”。
下の句“没有苦劳也有疲劳”では、“苦劳”から“疲劳”にストンと話のレベルを落としたところがユーモラスな言い方になっていますね。
▲例文2
他是你的顶头上司,应该请他做媒。否则,也不太近情理了吧。
→あの人は君の直属の上司なのだから、当然媒酌を頼むべきです。さもないと、人情に背き、筋の通らない話になってしまうと思うよ。
これは日本でも通じそうな義理人情の話です。
▲例文3
我这么做也是为了混口饭吃。
→私だって、どうにか飯にありつけるためにこうしたのです。
いわば「自分のしていることは食いはぐれないようにするためだ。目的は生きるためであって、
何も好き好んでこんなことをしているわけではない」とやんわり自己弁護する言い方。
場合によっては「自分は食うためにやったことなので、たとえそれが不正行為であっても、そこは容認してほしい」と哀願する言い方にも使われる。
この言い草は“民以食为天(民にとって食は命)”という伝統の社会通念を拠り所にしているに違いありませんが、やはり無理筋です。
▲例文4
你难道一点都不考虑别人的感受吗?
→まさかあなたは、他人がどんな思いで受け止めているのかを一切思いやることはしないつもりなのですか。
他人の立場・気持には目もくれず、あくまで非情に自己中心主義を押し通すのかと非難するような言い方。
「心の冷たい人だね、あなたは…」に近いニュアンス。
▲例文5
我一时鬼迷心窍,请放我一马。
→私は一瞬、邪念を起こしてしまいました、どうか見逃してください。
人は誰でも魔が差すときはあるもので、出来心によって犯した過失は、例外として容赦してほしい、と必死に情に訴える言い方。
( つづく 鄭青榮 )