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中国流 説得スタイル ー表現解説集【第6話(B)】

《 中級会話エリアの穴場 》
【第6話(B)】人生訓スタイル——【人生態度】に関する教誡

人各有志,不能强求。如果她不愿意,你也别勉强她
人にはそれぞれ志がある。その志に反することを強制するわけにはゆきません。
したがって、もしも彼女が望まないならば、無理強いしてはなりません

では、例文を見てみましょう。

1.人各有志,不能强求。如果她不愿意,你也别勉强她。
2.一切顺其自然,随它去吧。
3.活就得活出个人样儿。

語注 :
强求;qiăng qiú ;【動詞】強要する
勉强;miănqiăng ;【動詞】無理強いする
自然 zì-rán;【動詞】成り行く/(人間の力が関与せずに)自然に発展する
随sui;動詞: …に従う・委ねる
人样儿 rén-yàngr;【名詞】人間らしい姿/一人前の人間

解説 :

▲例文1
人各有志,不能强求。如果她不愿意,你也别勉强她。
rén gè yǒu zhì ,bù néng qiăng qiú。rúguǒ tā bù yuànyì ,nĭ yĕ bié miănqiăng tā

→人にはそれぞれ志がある。その志に反することを強制するわけにはゆきません。
したがって、もしも彼女が望まないならば、無理強いしてはなりません。

ちなみに、人として志・抱負や向上心を持つことの重要性を強調する諺に
人无大志,草木一生 rén wú dàzhì,căomù yī shēng(大志なき者の生涯は草木の如し)”があります。

▲例文2
一切顺其自然,随它去吧。Yīqiè shùn qí zìlán ,suí tā qù ba
→すべては自然の成り行きに任せ、その流れに付いてゆこう。
このフレーズは、字面からみて、先入観を持ったり、身構えたりしない自然体の生き方を説くものですが、
無我・無心・無欲の境地を示すものと解釈することもできます。
これを人間社会に当てはめると、人は他人の干渉を受けることなく、自由かつ自分らしく飄然と生きるべきだと読めます。
それにしても、このフレーズの“自然”はなんだか意味が深そうです。

★自然体の生き方とは—一切顺其自然,随它去吧。
辞書などを調べてまとめると、それは、
「宇宙の万物が人間の意志や力の干渉を受けることなく自由に活動し、発展する本来の姿・状態」を指しています。
ただ、「自由に活動する」といっても、万物にはそれぞれの特性や内部要因が具わっており、
その生成・発展・変化・消滅の全過程は一定の法則に支配されているという説があります。
そうすると、“顺其自然”とは「自然界の法則や人間社会の発展法則に基づく事物の自律的な営みに順応すること」を指す、と推論できる。

ここで問題になるのは「順応する」を如何に解釈するかです。
消極的な意味の「何でもかんでも受動的に容認し、受け入れる」ではなさそうだ。
むしろ人間の作為と不作為の両方が含まれる点に留意する必要があると思われる。
卑近な事例では、たとえば家庭園芸の場合で言うと、草花の成長期に当たる春夏には施肥を行い、
休眠期に入る秋冬には施肥を控える育て方があります。
これは植物の生命リズムや生長周期に合致しており、“顺其自然”を体現したやり方だと言えます。

その一方で、消極的な解釈も聞かれます。
つまり、どうせ人間のできることには限度があり、人間の知恵では解決できないことも多い世の中なので、
何事に対しても超然として関与せず、事の成り行きや結果に順応することが肝心だ、
そうすれば、人間はいつでも俗世間の喧騒や浮世のシガラミを遠ざけ、
自己の心の平和と暮らしの平穏を保つことができる、という処世態度だ。

ただ、このセリフ“顺其自然”が人間関係、特に感情面に絡んで使われるときは意味深です。
たとえば、恋愛の場合、二人の感情がひどくこじれたとします。
そのときに中国人が口にする“一切顺其自然,随它去吧。”は大抵、ネガティブな発言です。
なぜならば、相手とのこじれた関係がさらに冷え込み、ひいては破局を迎えたとしても一向に構わない、という意思表示になっているからです。
つまり、わざわざ自分から進んで相手とよりを戻したり、関係修復の手を打ったりはしない。
かといって、絶縁宣言もしないままほって置き、恋愛関係が自然消滅するのを容認する、という姿勢を指しています。

こうした言い方や生き方は、
一見「無為自然(顺应自然,无为而治) shùnyìng-zìrán wúwéi-ér zhì」を旨とする老荘思想が投影しているように見えて、
なかなか聞こえはいいのですが、実際は往々にして「無為自然」に名を借りたエゴイズムの表れと疑いたくなる事例が少なくない。
要するに、自分が悪くて二人の恋愛感情がこじれたわけではない、だから自分からは折れたくないと身勝手に意地を張っているに過ぎません。
無為自然」に名を借りて、人としての主観的能動性を放棄し、行動に出るべき時に出ないそうした後ろ向きの態度は、
不作為の怠慢であり、無責任だとの非難を招くに違いない。
こうしたエセ「無為自然」の生き方は、個人のエゴイズムを助長して人間社会を混乱に陥れるリスクを孕んでいる。

そこで欠かせないのは、やはり「尽其当然jìn qí dāngrán (其の当然を尽くす)」だ。
つまり、主観的能動性を発揮し、恋愛当事者の一方として、当然なすべきことに努めることである。
万事尽心尽力,而后一切顺其自然 wànshì jìnxīn-jìnlì,érhòu yīqiè shùn qí zìrán
万事、心を尽くして尽力し、後はすべてを自然の成り行きに委ねる、このほうが理に適っている。

こうしてみると、ことわざや格言も、時と場合によって意味するところが異なるものです。
したがって、発言をめぐる情況や背景、および話者の動機・意図などに立ち入って吟味しないと、
フレーズの真意や深意を把握できないものだといえましょう。
なお、“一切顺其自然”の類似表現に “一切看缘分(すべては縁がどうなのかに係っている)”、
一切随缘(すべては縁次第だ)”があります。

▲例文3
活就得活出个人样儿 huó jiù dĕi huóchu ge rényàngr
→(人としてこの世で)生きる以上は、まともな人間になるように生きるべきだ。
このフレーズの中で、“人样儿”は中国的特色を出しています。
活出个人样儿”は、「この世に人間として生まれたからには、夢を抱き、人生の目標を立て、
その実現に向けて努力し、人間社会の中で自尊自立した立派な一員になること」。
またそうしないと、人間らしい人間とはいえず、人間以下の存在になってしまうというわけです。

古い言い方では「身を立て、名を揚げること」。
卑近な言葉で言えば、「仕事で実績を上げ、出世してみせる」、
「一人前の人間になるよう頑張らなくちゃ」などと決意をアピールしたり、
またそうするよう人に忠告したりする言い方になっています。

( つづく 鄭青榮 )