中国語あれこれ

中国流 説得スタイル ー表現解説集【第5話(H)】

《 中級会話エリアの穴場 》
【第5話(H)】情に訴えるスタイル・決めゼリフ

这还用你说吗?我傻呀?
——中国人は日常会話で、なぜ反語文を多用するのか?
——強烈なひねりがメッセージを明確化、平叙文にはない凄みが聞き手に肉迫する…

反語文の外観は疑問文に似ているが、実質は全然別物だ。
発話者は何かを聞き手に質問し、その回答を求めているわけではない。
そうではなく、肯定形式の反語文は、意味上、強い否定、その逆に否定形式の反語文は強い肯定を表現している。
形式と意味内容が互いにねじれている点に注意を要する。

中国語の反語文は通常、語気が鋭く感情的な色彩も強い。
それを日本語に訳す時、反語形式に直訳すると、往々にして意味があいまいで語気も弱い感じになることがある。
その際は、むしろ意訳して意味をズバリ明確に、語気を明瞭に表現したほうが、原意がよく伝わる。
中国人の話の真意を掴むうえで、これは大事なポイントになる。

ただ、反語文には聞き手に物事を深く考えさせ、反省を促す働きもあるので、そのような意味合いの反語文はやはり反語形式の日本語訳が妥当だと考えます。

▲例文
这怎么可能呢? zhè zĕnme kĕ néng ne ? 
→こんなの、絶対あり得ない! (←←こんなことがどうしてありえましょうか?)

你不也是吗?  nĭ bù yĕ shì ma?
→君にとっても、これは他人事ではないはずだ(←←君だって、そうではありませんか?)

你还不快点儿坐下?”nĭ hái bù kuài diănr zuò xia?
→さっさと座ったら。(←←早く座らないの?)

你问我,我问谁呢? nĭ wèn wǒ,wǒ wèn shuí ne?
→そんな質問はやめてちょうだい、誰も答えらないのよ
(←←【直訳】あなたは私に質問を振ってきたけど、じゃあ、私は誰に振れと言うのかね?)

*不適切な質問に対する不満をやんわり表現している。
質問にどう答えていいか分からないとき、体のいい「ノーコメント」としてもよく使われる。

例えば、
你别问我从哪里来,也别问我到哪里去,人生路漫长,你问我,我问谁呢?
→私の来し方行く末を聞いてくれるな、だって人生行路は長くゴールは遥か先だもの、そんなの誰にも分らないだろうが。

なお、異常事態に遭遇した時、仲間から
我们该怎么办?「私達、どうしたらいいのか?」と聞かれた場合の返答:
你问我,我问谁呢?は、「私に聞かれても、どう対処したらよいのか分かりません」と、
途方に暮れて困惑している心理を表している。

这还用你说吗?我傻呀?hái yòng nĭ shuō ma?wǒ shă ya?
→私、アホじゃあるまいし、言われなくてもこれぐらいのことはちゃんと分かっているわ
(←←あなたから言われる必要があるの?私って、そんなにアホかしら?)

哪有这事?nă yǒu zhè shì?
→こんな事、あり得ない ! (←←どこにこんな事がありましょうか?)

您说哪里话?nín shuō ná li huà?
→とんでもないことをおっしゃいますね。 (←←あなたの話はどこのことなの?)

你还要我怎么样?nĭ hái yào wǒ zĕnmeyàng?
→これ以上のことを私にやれというのは無理筋ですよ。 (←←私にさらにどうしろというのか?) 

你怎么会有这种想法呢?nĭ zĕnme huì yǒu zhè zhǒng xiăngfă?
→あなたがそう考えるのはじつに不可解でならない。(←←どうしてまたあなたはそうした考えをもつのか?)

你不是喊着要去北京吗? 怎么又变了。nĭ bù shì hăn zhe yào qù Bĕijīng ma?zĕnme yòu biàn le .
→君はあれほど北京に行きたいと喚いていたのを忘れたのかい?よくもまあ気が変わるね
(←←君は北京に行きたいと喚いていたのと違いますか?どうしてまた変わったのか)

※反語文の文末に付ける句読点(*标点符号biāodiăn fúhào)は、必ずしも疑問符に限らず、句点や感嘆符もよく使われる。
なお、訳文は前後のセンテンスや文脈全体を見据えて訳出する必要があり、上記の訳文はあくまで参考例。

📌反語文は舌鋒鋭く、弁論や演説の中でもよく使われるが、乱用すると相手をキズ付けてしまい、
逆効果になることもあるので要注意だ。

たとえばこんな反語文は使ってはいけません‼
ミスした部下に対して頭ごなしに
问题在哪里你自己不清楚吗? wèntí zài náli nĭ zìjĭ bù qīngchu ma?
→どこが問題なのか、自分でわからないのか?

相手を見下し、自尊心を傷つけている。相手にプレッシャーを加え、突き放して委縮させるのは逆効果になるだろう。これでは問題の解決を遠ざけるだけだ。相手と共に問題解決する姿勢に欠けている点こそが問われている。

( つづく 鄭青榮 )