前話で、「水滸伝」をもじった居酒屋の「酔虎殿 SUIKO-DEN」を傑作だと、私は褒めました。理由は、まず日本語の語呂合わせが完璧だからです。が、それだけではない。日本語の「虎」にはもともと「トラ=酔っ払い・泥酔者」の意味がある。そこで、「酔虎殿」という屋号から連想できるのは、「酔客の楽園」でしょう。これがさらに、「水滸伝 SUIKO-DEN」に登場する108人の英雄豪傑たちとイメージがダブるので、大勢の飲食客、常連客で賑わう豪華な居酒屋、というふうに日本人の想像は膨らんでゆく。加えて、水滸伝のヒーローは、あの“武松 Wǔ sōng”にしろ、“鲁智深 Lǔ zhì shēn”にしろ、みな無類の酒好き、ときているではありませんか!
では、この屋号「酔虎殿」をそのまま中国へ持って行って店の看板に出したら、どんな反響になるでしょうか?答えは、否定的です。残念ながら日本語ワールドの日本国内でのように「酔客の楽園」というわけにはいかない。中国人には、はてどんな場所だか、一瞬ピンと来ない。それどころか、人によっては、畏れ多くも虎さまに大量の酒を呑ませて酔わせるのは、動物虐待だと批判したり、酔ったタイガーが大暴れする危険な場所?そりゃー大変なことだ!と想像して思わず身構えてしまうでしょう。それは、何故か?じつは、中国人は酔っ払いを「トラ」ではなく、「ネコ」に喩えるからです。
「酔っ払い」は “醉猫 zuì māo”と言い、“醉虎 zuì hǔ”とは言わない。“老虎 lăo hǔ=トラ”のイメージはあくまでも勇猛であり、孤高な「密林の王」なのです。“白虎 bái hǔ”に至っては、神と崇められています。なので、酔っ払ってギャーギャー騒いだり、人に絡んだり、ふらふらと危なっかしい千鳥足で歩く酔漢の言動や仕草の特徴は、イメージとして、トラではなくネコに似ている、というのが大方の中国人の見方です。また古来、中国では薄荷(メンソール)の別名は醉猫という。猫に薄荷を食べさせると、酔ったようになり、不安定な足の運びをするところから、そのようなネーミングになったという。(※なお、現在北京市内の路地裏に日系居酒屋「酔虎伝」という屋号の飲食店が営業している。酔虎殿の「殿」を「伝」に変えてある点がミソだ――殿堂ではなく、伝説ならば、何やらいわくあり気なムードを醸し出し、一体どんな飲み屋なのかと、歴史好きな飲食客の興味をそそるかもしれない。)
実は、中国の成語に“谈虎色变 tán hǔ sè biàn (虎と聞いただけで顔が青ざめる)”と言うほど、中国人は古来、最も人喰い虎を恐れてきました。水滸伝の豪傑武松の「虎退治物語」は有名ですが、あれはきっと民間の実話が小説に反映されたものに違いない。日本列島には野生の虎は棲息していないし、歴史上も存在しなかったようですが、人を襲うこともある虎は、いまも「“华南虎 Huá nán hǔ アモイ・トラ”および“东北虎 Dōng běi hǔ アムール・トラ”として中国に棲息しており、当然、虎に対する中国人の警戒心は緩んでいません。こうして両国には互いに大いに異なるトラ事情が介在しており、それが言葉の意味用法の違いとなったと言えそうです。
話のついでに“醉猫”以外に、中国語には動植物にちなんだものとして“醉蟹 zuì xiè(酔っ払い蟹)” “醉枣 zuìzăo(ナツメの酒漬け)”など食に関する用語があります。食材の調理法として“醉”は「酔わせる」から転じて「酒に漬ける」、焼酎などに「酒漬けする」という意味用法があります。蟹といえば上海蟹は日本でも有名になりましたが、あれは中国語では、“大闸蟹 dà zhá xiè ”と言います。
これまで、“包” “虫” “鬼”の話をしてきましたが、いっぽう日本語には、「病魔」、「睡魔」、「悪魔」「通り魔」、「断末魔」、「電話魔」、「メモ魔」など「魔一族」がおります。この一族の中で「病魔=病魔 bìng mó」、「睡魔=睡魔 shuì mó」、「悪魔=恶魔 è mó」については、用字も意味も同じですが、あとの「電話魔」、「メモ魔」は別に恐ろしい「魔物」ではないので、中国語では「△△迷 mí」方式によって“电话迷 diànhuà mí” “笔记迷 bĭ jì mí”と言います。「△△迷 mí」はご存知、“歌迷 gē mí 歌好き・歌謡曲ファン” “乐迷 yuè mí音楽ファン”などのように、「△△マニア」、「△△愛好者」、「△△ファン」、「△△に夢中な人」、「△△に熱中する人」の意味でしたね。問題なのは、「通り魔」と「断末魔」です。「通り魔」のほうは固定した熟語が辞書にもないようなので、ひとまず“沿街突然行凶的歹徒 yánjiē tūrán xíngxiōng de dăitú”と説明式に訳せましょうが、「断末魔」のほうは語源がサンスクリットなので正確に訳すのは骨が折れます。結局、俗界の「とどめを刺す」と似たような表現なので、「断末魔の叫び」を“垂死挣扎的惨叫 chuísĭ zhēngzhá de cănjiào”と言えそうです。
(次回に続く/鄭青榮)