野球王国の日本には、「打」の付いた熟語として「打者」、「打球」、「打撃王」、「打線」の類の野球用語が、よく使われています。また、日本語の「打つ」はほとんどの場合、「たたく」、「ぶつかる」、「突き当たる」という意味であり、すこぶる物理的です。例えば、「頭を打つ」、「杭を打つ」「雨粒が窓ガラスを打つ」などと使われているが、いずれも一方の物体が他方に衝撃力を加える「打撃」とか、物体同士の「衝突」がイメージされる。比喩的に、「感動させる」ことを「心を打つ」と表現するが、これとて心に衝撃を与える意味では、やはり物理的な感じがします。
ところが、中国語の“打 dǎ”はなぜか、日本語の「打つ」と違って、一筋縄には行かないマルチ語なのです。用例を挙げてみましょう。まず、“打鼓 dǎ gǔ(太鼓を打つ)”や“打门 dǎ mén(戸をたたく)”の“打”は、日本語と同じく「たたく」で問題はないが、叩いてはいけない物まで叩いてしまう用例が日常語の中で非常に多い。例えば、“打雨伞 dǎ yǔ sǎn(雨傘)” “打灯笼 dǎ dēng long(提灯)” “打毛衣 dǎ máo yī(セーター)” “打车 dǎ chē(タクシー)”などがこれに該当する。一体、なぜこうなったのか?太鼓は叩かなくては鳴りませんから、もちろん叩いてよいに決まっています。が、なぜ、「雨傘」や「提灯」、「セーター」、はては「タクシー」までもが、打撃のターゲットにされてしまうのか?
ヒントは“打 dǎ”が日常卑近な言葉(発音もシンプル)であるうえ、有能な便利屋だからです。つまり、使い勝手がよいので、手を使う日常生活動作を示す様々な動詞の代役として盛んに使われてきたと考えられる。
とにかくほかの単語と馴染みやすく、親和力、結合力がとても強い。中級レベルの方は、もう習得していると思いますが、前記の四つの熟語は、それぞれ「雨傘を差す」、「提灯を提げる」、「セーターを編む」、「タクシーを拾う」の意味ですね。この“打”は【“打”+目的語】のスタイルで応用展開するが、パートナーたる目的語の事物に合わせて、それにふさわしい動詞の代役を務めます。つまり、前記の例では、本来の「たたく=打 dǎ」ではなく、「差す=撑 chēng」、「提げる=提 tí」、「編む=织(織) zhī」、「(タクシーを)拾う=叫 jiào」といった動詞の代役を果たしています。おそらく、このあまりの落差にいささか面食らう人もいることでしょう。しかし、使われるのはどれも日常の暮らしに密着した頻出用語なので、敬遠も無視もできません。
さて、前記の“打车”は“打的 dǎ di”ともいい、誕生してからさして年数は経っていない。広東語の“搭的士 dab digxi(タクシーに乗る)”が語源であり、1980年代以降、香港・広東から経済発展の風に乗って北上し、標準語の仲間入りをしたものといわれる。“搭 dab(乗る)”が少し訛って“打 dǎ”に変わったものと考えられる。
では、もう少し用例を挙げると、“打麻将 dǎ májiàng”、“打领带 dǎ lǐngdài”、“打肥皂 dǎ féizào”、“打鞋油 dǎ xiéyóu”、“打针 dǎ zhēn”、“打门票 dǎ ménpiào”、“打行李 dǎ xíngli”、“打旗 dǎ qí”、“打球 dǎ qiú”などと引っ張りダコです。それぞれの意味は前から順に「マージャンをする」、「ネクタイを結ぶ」、「石鹸を付ける」、「靴墨を塗る」、「注射する」、「入場券を買う」、「旅の荷造りをする」、「旗を掲げる」、「球技をする」となっています。こうしてみると、“打”はじつにいろんな代役を難なくこなし、不思議な神通力さえ感じさせられます。
これでこの話が終わりにできないのは、驚異の代役現象がまだまだ後に続くからです。例えば【“打”+目的語】の目的語のところに、動物や植物関連語を代入すると、“打鱼 dǎ yǔ(魚を捕る)” “打鸟 dǎ niǎo(鳥を捕まえる)” “打虎 dǎ hǔ(トラを捕獲する・退治する)” “打蛔虫 dǎ huíchóng(回虫を駆除する)” “打鸡蛋 dǎ jīdàn(鶏卵を割る)” “打草 dǎ cǎo(草を刈る)” “打粮食 dǎ liángshi(穀物を収穫する)”となり、自然環境関連では“打水 dǎ shuǐ (水を汲む)” “打火 dǎ huǒ(火を起こす)” “打气 dǎ qì(空気を入れる)” “打井 dǎ jǐng(井戸を掘る)”と応用できる。さらに傑出したものには“打天下 dǎ tiānxià(天下を取る)”なんてスケールの大きいものまでが控えている。これらすべてが“打”の代役サービスを受けています。たしかに“打”は生まれつき親和力が強く、いろんな目的語とよく結合します。中でも、一見簡単で間違えやすいのが、人体の部位と結び付いた“打头=頭 dǎ tóu(先頭を切る)” “打眼 dǎ yǎn(穴を開ける)” “打手 dǎ shǒu(用心棒)”のグループです。
地震と並んで恐いと日本で言われるのが雷ですが、ふところの深い“打”にとってはなんのその、“打雷 dǎ léi”と称して、カミナリさえも形式上、打撃の標的にしてしまっている。でも、常識として「雷をたたく」なんてあり得ないですよね。第一、叩いた瞬間、感電死+焼死ですもの。ならば、この“打”の正体は果たして何だろう?じつは、自然現象である雷鳴を言う時の“打”は「発生する、起きる、放つ」という意味であり、“打雷”=雷が起きる=雷鳴が発生する、というわけです。
述語動詞が表現のカナメとして多用、連用されるのが中国語表現の一つの大きな特徴になっていますが、そうなると、ケース・バイ・ケースに動詞を的確に使い分けてゆくのは、話し手にとって負担となりがちです。「苦」を避け、「楽」を求めるのが人の世の習わしです。そうした中で、楽をする裏技として、“打”に白羽の矢が立った。そして、働き者の“打”は、長い歳月の中で人々から大いに重宝がられ、「顧客」も増え続けて、便利屋としていろんな場面に引っ張り出され、多用されているうちに、“打”ファミリーの一大勢力を築いてきたのではないか、と私は推測する。
この“打”の意味用法に関して、ある辞書は、全部でなんと27種にも分類している。小文ではとても全部を取り上げることができません。みなさんもぜひ一度、じっくり辞書に当たってみるとよい。
あの広大な国土、多種多様な民族、巨大な人口構成、そして悠久の歴史文化、これらの要素は中国社会に多彩で豊かな言葉――中国語を育んできました。“鸡蛋”から“雷”、そして“天下”に至るまで、幅広いジャンルの数多の日常語とコンビを組み、それらとそれぞれ結合し化合して、さまざまな新しい意味を獲得し、進化し続けている動詞、それが“打”なのです。中国語の動詞の中にあってはまさに異色の存在であり、代役の達人と言っても過言ではないでしょう。異色の動詞“打”には、中国社会の言語文化情報や庶民の生活情報が満載されている。中国語学習者にとって、この便利屋で百面相の“打”を攻略することは、中・上級会話への登竜門と言えそうです。
(次回につづく/鄭青榮)