中国語あれこれ

閑談 中国語あれこれ  第1話

【第1話】「吃鸭蛋chī-yādàn」

誰からも嫌われるアヒルの卵とは?

目下の中国は北京から新疆まで、上海から四川奥地まで、国中どこもかしこもグルメブームだ。新旧メディアもそれぞれカラー動画を使った目に訴えるPR活動がとても活発で、庶民の食欲も旺盛の一途だ。新型コロナ感染症蔓延の3年間、我慢を強いられた食欲と行楽欲が解禁とともに堰を切ったように流れ出し、リベンジ消費が大きく盛り上がっています。それに因んで、“吃chī(食べる)”に関する雑談をしてみたい。

食いしん坊というべきか、食への関心が特に深いというべきか、それはともかく、中国人にとって、もっともよく使われる日常単語の一つがこの“”です。ただ、この字は日本ではあまり馴染みがない。ところが、実は「隠れ“”」の一大勢力が存在しています。なんと、日本全国どこにでもある喫茶店の「喫」、これが“”の異体字なんですね。「喫茶」はじつに中国語の“吃茶chīchá”とは双子だったんです。吃茶は中国の南方語で「お茶を飲む」という意味です。なるほど、それなら日本語の「喫茶店」は、お茶を飲んで一休みするところ、つまり現代風の「茶屋」「茶店」というわけですね。といっても、日本の喫茶店は、メニューの飲み物が看板とは違って、紅茶などよりもコーヒーが主流のようです。ですから、喫茶店の中国語訳は“咖啡店kāfēidiàn咖啡厅kāfēitīng”となります。

中国語の「動詞+目的語タイプ」の連語の中に、“吃鸭蛋”という変り種がいます。普通、これを簡単に「アヒルの卵を食べる」と訳せる。が、このほかに慣用語として「零点を取る」、「零敗を喫する」「惨敗する」という別の顔、別の意味があります。例えば、テストの成績が零点だと、茶化し半分に“昨天的考试,我了个大鸭蛋zuótiān de kăoshì, wŏ chī le ge dàyādàn 昨日のテスト、デッカイ零点をとっちゃいました)”と表現する。なぜ、アヒルの卵が選ばれたのか?中国古来の日常食品のアヒルの卵は、鶏卵より大きく、しかも形がアラビア数字の0(ゼロ)によく似ているから、起用されたわけです。ゼロ「0」の姿形からすぐアヒルの卵を連想するところが、やはり立派な食いしん坊の証しですね。

さて、“吃鸭蛋”に関連して、中国のサッカーファンにとって苦い記憶があります。それは“吃鸭蛋”を応用して作られた、ある「スポーツ報道用語」が脳裏に強く焼き付いた後遺症みたいなものです。話はふた昔前に遡る。ワールド・サッカー試合に出場した中国チームは弱く、3試合対戦して3連敗、累計9ゴールを奪われました。そこで“连吞九蛋liántūn jiǔdàn”!と報道された。この“”はサッカーボールをアヒルの卵に見立てた言い方です。つまり、“连吞九蛋”とは「立て続けに相手チームのシュートボールを自陣ゴールに9個も呑み込んだ」となる。もちろん、いやいやながら呑み込まされたのですが…。これをさらにあるスポーツ記者が小細工して“连吞九弹”と1文字だけ言い換えた。
”と“”は発音がまったく同じ「dàn」なので、掛け言葉の効果により、「シュート9発も喰らって無得点で惨敗!」となる。わずか1文字を入れ替えただけで、威力、迫力が倍増している。なぜなら、相手チームのシュートボールを「砲弾」に喩えたからです。また“九蛋”よりも“吞九弹”のほうが、惨敗に対する無念の悔しさが溢れ出ている。こうして、“连吞九蛋)”の新四字熟語は派手な大見出しとなって、当時の新聞紙面に躍った。紙面からナショナルチームに失望した中国全土の熱心なファンの大いなるブーイングが聞こえて来るようです。ちなみに中国女子サッカーは度々アジア大会で優勝するほど実力は強いが、男子サッカーは依然不振続き。10年長期計画で一流選手養成を目指しているが、残念ながらまだ明るいニュースは少ないのが現状です。

侮れない吃の用法—全部で12種類も!

さて、“”には「食べる」をはじめ、実に12通りもの意味・用法があるから侮れません。また、基本義の「食べる」にしても、例外として“药chīyào(クスリを飲む)” “奶chīnăi(乳飲み児が母乳を飲む)” “喜酒chī xĭjiǔ(結婚の祝い酒を飲む、結婚式に参列する)”など「飲む」という意味もあるとは、意外ではありませんか。

「食べる」ことに非常にこだわりがあるのが中国人の特性だ、といえる。その証拠に、日常用語でも吃△△タイプの3文字慣用語が非常に多い。たとえば、“房租chī fángzū(家賃収入で暮らす)” “利息chī lìxi(利息収入で生計を維持する)” “劳保chī láobăo(労災保険金収入で暮らす)”という言い方があります。この場合の“”は「△△を収入源にして暮らす、生計を立てる」という意味・用法です。

鸭蛋”の親戚筋にマイナス・イメージの慣用語があります。“苦chīkǔ(苦労する)” “官司chī guānsi(裁判沙汰になる、訴えられる)” “那一套bù chī nà yitào(その手は食わぬ、その手に騙されない)”のように、もともと能動態の“”が逆に受身の意味に使われる。つまり、不利益を蒙る、被害を受けるというわけです。そういえば、日本語の「食う(喰う)」にも「お目玉を食う」「その手は食わぬぞ」「一杯食わされた」という言い方がありますが、この点、“”の受身の用法とよく似ていますね。いまひとつは、変わり身の早いところ、融通無碍なところが中国語にあります。例えば、“看病kànbìng”は患者の立場で言えば「医師の診察を受ける」ですが、医師の立場だと「患者を診察する」というふうに、同じ単語が異なる文脈の中で180度も意味が転換する。ともかく、今回取り上げた「吃△△…グループ」はかなり複雑多岐で、100組を優に超える。その中には中国人の生活臭が強く漂い、生きざまや人間関係、さらには人生哲学までもが滲み出ています。一度、辞書に当たってみるとよい、中国人の発想を理解するのに役立ち、面白いジャンルですよ。

そろそろお開きですが、最後にもう一言。新聞記事によく使われる日本語の「喫緊の課題」の「喫緊」は「差し迫って大事な」という意味ですが、中国語の“紧chījĭn”もこれとほぼ同じ意味です。“”の意味・用法はこれぐらいではまだ序の口です。でも、“”ばかりに構っていられないので、次回は別の話題に移らせてもらいます。

(鄭青榮)