中国語あれこれ

閑談 中国語あれこれ  第5話

【第 5 話】 中国語の動詞とその周辺エリア

迷宮ルートを踏破するには?

今回は硬い話題として、あえて中国語の文法・語法のユニークなポイントを一つ取り上げてみたい。語学として、中国語は日本語を母語とする人にとって取っ付きやすく、入り易いが、奥が深いと、よく言われる。馴染みの漢字や漢語に誘われて、出だしはなかなか順調だが、奥へ行くほど分かれ道が多くなり、勝手が分かりにくく、道に迷いやすいのも確かです。日本語のように、文脈を掴むのに大事な手掛かりとなる「てにをは」に相当するものが文中のどこにもなく、捉えどころがないとの嘆きの声が聞かれる。また、中国語の単語は文中の並べ順によって文法機能が決まるが、その分、語順を覚えるのが大変だ、との声もよく聞かれる。その一方で楽観する人もいる。理由を聞くと、他の言語と違い、中国語学習は語学としては楽なほうだ、なぜなら、ややこしい語尾変化や格変化がないのは気楽だからだと。さて、読者の皆さんはどっちですか?

しかし、苦心派も楽観派も見落としがちな点が一つある。じつは、中国語の中で、文の最も重要な成分である述語動詞が、複雑多岐な「活用」というか、「応用展開」を見せる。その活用の仕方は語尾変化とは全く異質なもの、したがって、これは単なる語順問題だとは片付けられない異次元の話なのです。中国語の述語動詞に関連する成分として、目的語(宾语 bīnyǔ)、補語(补语 bǔ yǔ)、連用修飾語(≑状语 zhuàngyǔ)および動態助詞(动态助词 dòngtài zhùcí)が登場するが、一つ一つの動詞はそれらの成分とそれぞれ一定のルールに基づいて結合し、いろんな異なる意味を表現する。特に補語(→方向・結果・程度・様態・可能)との結合関係が多種多彩であり、しかも基本用法のほかに派生用法もあったりする。

思うに、日本語にしても、その動詞・形容詞などの語尾変化ときたら、外国人から見れば、実に「複雑怪奇」で、習得は至難の業です。
加えて格助詞・副助詞をはじめとする助詞一族や、尊敬語と謙譲語を同じセンテンスの中で併用する際の難解な語尾変化ルールなど学習者泣かせの迷宮スポットが次々と出現するではありませんか。

では、実例を挙げて見ましょう。例えば、中国語の述語動詞“病 bìng”と日本語「病む」を比べると、「病む」は「病気に犯される」との意味では「肺を病む」などと表現し、また「心配する」との意味では「気に病む」と言う。一方、“病 bìng”は“屋子里病着一个人”=(直訳→部屋の中はひとりの人が病気を罹っている状態だ【*これは初級で習う《存現文》に該当→事物・人物の存在・出現などを描述する文型】:意訳→ふと見ると、部屋の中でひとりの人が病んでいる光景が目に映ってくる)/ “他今年病过两次”=(彼は今年、二度患った:“两次”は動量補語)/“他已经病了很久”=(彼はすでに長いこと患ってきた:“很久”は時量補語)/“病得很严重”=(彼の病状はとても深刻だ:“很严重”は程度補語)/“病成那个样子,还在坚持工作。”=(彼女はあんなに患っているけれど、なおもあくまで仕事を続けている:“”は結果補語)/“病下去,非住院不可。”=(これ以上、病気が続くと、入院は必至だ:“下去”はもともと動詞の方向補語だが、ここでは「下ってゆく」ではなく、すでに進行している動作・状態を「そのまま継続してゆく」という派生的な意味用法になっている)

以上の例文に見たように、さまざまなタイプの補語が寄り添うようにして主役である動詞の後ろに凝集してチームを組み、動詞の応用展開成分として役目をしっかりと果たしている。

次に“唱 chàng”と「歌う」をみると、日本語の「歌う」は「歌を歌う」、「小鳥が歌う」、「愛の美しさを歌う(謳う)」などと表現するが、“唱”のほうは、次のように、多彩な「活用」変化を見せる。唱完歌”=(歌を歌い終える:“”は結果補語)/“唱卡拉 OK”=(カラオケで歌う:“卡拉 OK”は動作“”の方式を示す目的語)/“唱了一个上午”=(午前中ずっと歌い続けた:“一个上午”は時量補語)/“唱哑了嗓子”=(歌い過ぎて、のどがかれてしまった:“”は結果補語)/“唱走了调儿”=(歌っているうちに調子外れになってしまった:“”は結果補語)/“调儿太高了,我唱不上去”=(曲のキーが高すぎて、私は高音が歌い出せない:“不上去”は音程を上げてゆくことができないとの不可能補語)/“唱出感情来了”=(彼は情感豊かに歌い上げた:“出〜来”は方向補語、この例文では、歌による感情表現を「実現する」、「完成する」という派生義になっている。

以上の例からお分かりのように、ある程度は文法・語法知識を逐一コツコツと覚え、蓄積してゆく必要があります。
その際、日常会話体の例文とセットにして、動詞の働きぶりを文脈全体の流れの中でよく観察し、その意味用法を噛みしめてゆくことが大事です。こうした学習プロセスを踏まえずに、単に動詞の日本語訳に頼っていきなり中国語を使って作文してみても、なかなか合格品とは成らず、いわんや中国語らしい表現を身に付けるなどは望むべくもないでしょう。中級レベルまで進んできたのに、そこで足踏みしたり、なかなか壁を破れなくて悩んだりする学習者が少なくないが、ぜひ述語動詞に寄り添う各種補語の意味用法や、その動詞と相性の好い、よく使われる目的語の幾つかをしっかり学び、覚えてほしい。作文が好きな学習者なら、大胆に作文してみて、教師に添削を乞い、ついでに添削の理由をしっかり聞くのもよい方法だと言える。

また通常、中国語の動詞は英語などと同様、後に目的語を取るが、動詞の種類とその機能・用法はさまざまであり、【動詞+目的語】の意味関係も、目的語の性質・態様・機能によって複雑多岐に渉り、日本語から見て奇異な感じのものも少なくない。例えば、“洗温泉=温泉に入浴する”、“唱卡拉 OK=直訳→カラオケ方式で歌う” “熬夜=夜間、寝ずに仕事や学習に頑張る/徹夜する”、“吃食堂=食堂で食事する”などはそのうちのごく一部に過ぎない。これらの言い回しが理解困難に感じるのは、日本語文法には見当たらない現象だからでしょう。でも、そこがまた中国語学習の面白いところでもあります。結局、外国語を習うことはまったく新しい習慣を身に付けるに等しい、そう割り切って付き合う心掛けが求められていると言えましょう。
(次回に続く/鄭青榮)