視野偏狭では大局が見えず 枝葉末節に拘泥しては大局を見失う
感情に流されて大局観を欠くと、大成できず、命取りのリスクも
坐井观天 / 一叶障目不见泰山
●坐井观天 zuò jĭng guān tiān
→井戸の底に座って天を眺める。
これではいけません、視野が極めて狭く、外界の様子や世間が全く見えない。
見えるのは天のごく一部だけになってしまう。
*观=観
【類似表現】
井底之蛙,不知东海 jĭngdĭ zhīwā,bù zhī Dōnghăi
→井の中の蛙、大海を知らず
井の中の蛙は、東海に棲む海亀から海の広大さや深さを聞かされ、呆然とした。(原典:「庄子・秋水」)。
●一叶障目不见泰山 yī yè zhàng mù,bù jiàn tàishān
→木の葉で目隠しすると、葉だけが見えて、後ろの巨大な泰山が全く見えなくなる。
物事の細部や些細な事柄に拘泥し過ぎて、全体が見えず、大局的な判断ができなくなる譬え。
●感情用事,难成大器 gănqíng yòngshì,nán chéng dàqì
→感情のままに事を行う者は、大人物になれない。
人は感情に流されると、物事を主観的に見て、好き嫌いで判断しがちになるものだ。
また自分の言動が招く結果を客観的、大局的に考えることもしなくなりがちだ。
また周囲の人もその喜怒哀楽に振り回されて支持、助力することができなくなる。
これでは、いつまで経ってもわがままな小人物から脱皮できない。
大器とは「品性と才能に優れ、度量が広い人物・大人物」
(つづく 鄭青榮)